ノックの音に、クリスは寝台から跳ね起きる。
うたた寝をしていた自分にかすかに赤面しながら、細く開けた扉の向こうにいたのは誰あろう白珠の巫女だった。
「お邪魔していいですか?」
首を傾げて確認する巫女を、改めて大きく開けた扉から招き入れる。
エアリアスは扉を後ろ手に閉めると、そこにもたれかかって上目遣いに小さく笑った。
「くつろいでいるところを、申し訳ないかなあとは思ったのですけれど。お願いがありまして」
「なんでしょう?」
「ええと。……フルーレ、お持ちですか? できれば二本」
「フルーレ、ですか? すいませんが、レイピアと一本ずつしか持って来ていなくて」
意表を突いた問いに、戸惑いながらクリスは答えた。フルーレというのは、先を丸めた剣術練習用の剣だ。レイピアは実戦用の真剣で、どちらも騎士隊の寮にいた頃は一日たりと触らなかった日のない、クリスにとっては馴染みのものである。逆に言うと、この楚々とした巫女の口から出る単語としてはそぐわない。
「じゃあ、練習用のキャップは? ありますね、それなら良いかな」
「あの、巫女様?」
「お願いというのはね、クリス」
手早く脱いだ重たげな白装束の上着を寝台に放って、クリスのフルーレを手に巫女はにっこりと笑った。
「剣術の稽古を、つけていただけないかと思いまして。よろしいですか?」
……クリスがまともな返事をすることができたのは、まるまる十秒ほどの沈黙のあと、であった。
閉め切った室内の温度が、半刻前よりいくらか上昇したようにクリスには感じられる。
金属のぶつかり合う鋭い剣戟の音と、あとは互いの呼吸だけがそこにある音の全てだった。
クリスは感嘆を禁じ得なかった。何の冗談かと思った巫女の申し出だったが、どうしてなかなか侮れない技量がこの相手にはある。無論騎士隊の若手のなかでは五本の指に入るクリスと比べるレベルには達しないが、お遊びの域でもあり得なかった。それも、剣術の教師が教えるような型どおりの剣技ではなく、どこか野性的な、実戦向きの動きだ。
「どこで、覚えられたんです?」
繰り出されるフルーレの突きをかわしながら、思わずクリスは問いかけていた。その声音にも、レイピアを操る腕にもほとんど乱れが見えないのはさすがと言える。切っ先にキャップをはめたレイピアは安全性を考えるならエアリアスが持つほうが順当だったのだろうが、儀礼用の装飾のぶんフルーレより重く、そのためクリスがこちらをとることにしたのだった。
「昔、初歩だけ教わって……、あとは、独学です」
答える巫女のほうは、息があがってきている。そろそろ潮時かとクリスが考えた瞬間、ふところ深くエアリアスが突いてきた。
(よし)
冷静に身体を引いて剣を避け、同時に思い切り右手のレイピアをはね上げる。きいんっ、と火花が散り、フルーレが持ち主の手から弾かれて宙に舞った。
はっと巫女が目を見開く。だが落ちた剣を拾おうという動きは阻まれた。巫女が一歩行かぬうちに、磨き込まれたレイピアがぴたりと胸許に突きつけられていたのだった。
「……さすがはクリス=スタインですね。完敗です」
ため息をついて巫女が微笑んだ。
「巫女様も相当の腕前でいらっしゃいますよ。正直、驚きました。運動がお好きとも思っていませんでしたし」
クリスもまた笑みを返して、レイピアを引こうとした。それと、エアリアスが乱れた髪を整えようとした腕が妙なタイミングでぶつかり、キャップが飛ぶ。しまった、と思ったときには遅かった。何気なく動いたエアリアスの服に、レイピアの切っ先が引っかかっていた。軽装の巫女の、白い極上の絹地の胸許が斜めに大きく、裂け。
「……あ」
「…………」
室内に沈黙が落ちる。
謝罪の台詞がクリスの舌で凍り付いていた。
なんとなれば。
切り裂かれた白絹の下、灯りにさらされた白い素肌が――
女性のものでは、なかったからだ。……まぎれもなく。