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 以下、サンプル小説です。
  その日から、クリスの「白珠の騎士」としての生活が始まった。
 与えられた一室は、今までの騎士隊寮と比べて破格の待遇だった。まあ当然と言えるだろう。一介の騎士隊員と、巫女の守護騎士では天と地ほども立場が違うのだ。それに今までは身の回りのことは自分でしていたが、ここではクリスにも数人の女官が付けられ、色々と世話をしてくれる。いらないとはじめ断ったクリスだったが、例の無愛想なレナという筆頭女官に押し切られてしまった。
 まあそれはいい。騎士隊入隊と共にそんなことは本人も忘れていたつもりだったが、もともとクリスの実家はフェデリアでも名の知れた貴族の名家だ。閉口したのは、女官たちが浴びせてくる熱のこもった眼差しのほうだった。
 男ばかりの騎士隊で二年暮らして、注目を浴びるのには慣れていたつもりだった。しかしなにかといっては「守護様」「騎士様」と頬を染めて寄ってくる少女らの相手ははっきり言って鬱陶しい。これが普通の男ならけして悪い気はしないのだろうが、いくら男装していてもクリスは女だ。だからこそ自分が、本当の恋愛をまだ知らぬ幼い少女たち――女官の多くは行儀見習いに来た中流階級の娘で、クリスより年下だ――には安心して騒げる対象なのだろうと判ってはいたが、喜ぶ気にもさすがになれなかった。
 それでも、白珠の巫女のはからいか、レナが気を利かせたのか、クリスの世話にあたった女官は物静かな、落ち着いた少女が多かった。それだけはありがたい。
「確かに暇といえば……暇だなあ」
 実家の私室なみに広い部屋にしつらえられた、天蓋つきのベッドにクリスは寝転がった。
 天気の良い、うららかな午後だ。日中はたいていクリスは巫女とともにすごしていたが、この時間巫女は宝珠の間に赴く習慣で、その間クリスにはすることがない。先刻まで剣の手入れをしていたが、毎日のように磨いているのでいい加減飽きてきたのだ。
 ここでの暮らしは本当に平穏だった。白珠の巫女が当初守護を不必要としたのも今なら頷ける。神殿は宮城や城下町から遠い郊外にあり、訪れるものもまずいない。上質だが奢侈にならない食事と、静かな会話や読書や散策が毎日の全てだった。
 巫女たるもののするべき生活、というのではないらしい。国の要である宝珠を守る巫女の望みは、なにをおいても叶えられる決まりだ。実際、夜毎のパーティーに遊び暮らす巫女もいると聞く。だからこの静かな暮らしは、白珠の巫女エアリアスそのひとが択んだものなのだ。
 ――エアリアス=セシル=ラフィード。実はこの巫女のことは、いまだにクリスにはよく判らない。
 いつもその美貌に微笑みを絶やさない、穏やかな性質は初対面ですぐに知れた。物腰は洗練された上品さで、会話の端々には豊かな教養が覗く。同じ年頃の少女の好む、衣装や菓子や社交界の噂にはあまり興味がないようで、クリスには正直ありがたかった。
 しかし一方で、エアリアスは年齢や出身といった個人的なことには一切触れようとしない。こちらに訊いてこないのはクリスの素性や細かなエピソードがすでにフェデリア国内では語り草になっているためもあるのかもしれないが、一週間近く毎日顔を合わせていてそういったことが一度も話題にのぼらないのもなにか奇妙だった。
 薄いヴェールがかかっているような気分、というのか。初対面のその時から、距離が少しも縮まっていない気がする。
 人見知りだとか、そういった理由ではおそらくないのだ。これはクリスの勘にすぎなかったが、あの銀髪の巫女にはなにかの理由で他人の立ち入りを拒む部分がある。
(だからどう、ってことはでも、ないんだけどね)
 寝転んだままクリスはため息をついた。相手は国の柱、宝珠の巫女なのだ。いくら一番近しい場所で守護する騎士とはいえ、巫女が踏み込まれたくないところを詮索する権利などもとよりない。
 ……ただクリスは、自分の護る巫女エアリアスに興味があるだけなのだ。好奇心というよりはもう少し強いレベルで。
 その理由は、クリス自身もよく判らなかったが。